モーツァルト好きによる、モーツァルト好きのための、
モーツァルト・エッセー集
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日本モーツァルト協会会員
K465 小澤純一
ここに掲載したエッセイ集は、私が「日本モーツァルト協会」の会報に投稿した原稿を再掲したものです。私も中学生の時までは、人並みにいろいろの作曲家の音楽を聴いたものですが、高校生の時にモーツァルトに出会い一遍に引かれてしまった。今の言葉で言えば、「はまってしまった」という事なのでしょう。その後は彼の音楽ばかり聴いていました。会社に入ってからは、人並みに、仕事や生きるための些事に汲々とする日を送らざるを得ませんでしたが、定年を迎え、こんなにも自分を引き付ける音楽家について知りたいと思い、改めてモーツァルトについて考えるようになりました。
その結果がこれらの原稿と言う事になるのですが、そもそもの動機が、他の会員の方々に話題を提供するという事にあったためもあり、各エッセーとも、前半部分のモーツァルトに関する一般的事柄はさて置き、後半部分には最低1か所、自分独自の感じとか、考えを含めるようにしました。その意味ではエッセイ的要素の強いものとなっております。今読み返してみると、初期のものは内容の余りの稚拙さと紋切り型の表現にいささか顔が赤らむ感じもしますが、敢えてそのまま掲載しました。並びも、掲載順としました(ブログ形式のため逆順)。従って、私のモーツァルトに関する見方の変遷が見えるわけですが、それが深まっていくと感じて頂けるのであればこんな幸福はありませんが、そうでないとしても、モーツァルト理解への思考の楽しい旅をさせて頂いた事に後悔はありません。
ところで、人は、何故、モーツァルトについて書きたくなるのでしょうか。モーツァルトの音楽は多様であり一面的な解釈を拒否します。何故なら、彼は人を、人生を描いたのであり、人も人生も一面的ではないからです。彼の音楽は多面体であり、人はその多面体のどの角度からでも自分を投影でき、解釈できる。どのモーツァルトも間違いではない。多面体のどこに自分のモーツァルトをみるか。笑いと悲しみ、真面目と諧謔、繊細と豪放、怒りと諦念、時に噴出する悪魔的なもの、等々。そしてそれらの総合としての多面体の全体像とは?つまりは人間とは?人生とは?モーツァルトの音楽はそういう人間や人生の真実への探究に人を誘います。人はその誘惑から逃れられない。つまり、書きたくなるのです。
ともあれ、ここで1人のモーツァルト大好き人間が、どの様にモーツァルトを聴き、感じ、考えて来たのかを知ってもらう事が出来れば幸甚です。大好き人間の考える事であるから、本人も公平などと考えてはいないし、バイアスは当然掛かっている。やむを得ぬ仕儀として了とされたい。
2020年6月15日
注)エッセー中に使用したモーツァルトの手紙文は、海老沢 敏、高橋 英郎 編訳 「モーツァルト書簡全集」(白水社)から引用しております。
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