4.目をつぶって音楽を聴くと言う事

 

 小林秀雄が「モーツァルトのオペラは器楽的であり、上演されても目をつぶって聴く」と書いたのは有名である。確かに目をつぶって音のみを聴いたほうが、音楽が良く聴こえることは事実であって、耳に集中することによって初めて聴こえる音というものは確かにある。歌手の声質、歌の微妙なニュアンスやオーケストラ内声部の楽器の絡みといったものも、よりよく聴き分けられる。殊にモーツァルトのオペラは音楽が全てを表現していると言われ、舞台を見なくとも情景がわかるそうである。音楽だけで99%満足できるとも言われる。熟練の聴き手ほど目をつぶりたがるのかも知れない、舞台が頭に入っているからである。そういう意味では、今まで何回も見たDVDを一度目をつぶって聴いてみるのも良い経験かも知れない。今まで聴こえなかった音や声が聴こえてくるに相違ない。

 

そうは言っても、オペラとは元来、作曲、演出、美術、指揮、演奏、歌手、会場、聴衆も参加しての総合芸術であり、観客の前で音楽とともに演じられるものである。つまり耳と目を同時に楽しませるためのものであって、幾ら音楽の占める割合が圧倒的だからといって、全面的に目をつぶるというのは極めて不自然であろう。小林も、ある断面を強調するために敢えてそう言っている面もあるのではないか。同じ演奏のCDDVDの両方があれば殆どの人はDVDを選ぶであろうし、更に進めて、名盤CDよりは並のレベルのDVDを選ぶ人も多いだろう。それはやはり誰でも出来れば見たいと思っているからであり、それが自然な態度ではないか。その証拠という訳ではないが、オペラ終演後の観客の話の内容は、殆どが歌手の男ぶり、女ぶりに関するものだという調査結果があるそうである。モーツァルトも観客が目をつぶって自分のオペラを聴くなどとは想像もしなかったであろう。誰もが「オペラを聴きに行く」とは言わず、「オペラを見に行く」と言う。

 

一般論としては以上のようなことだと思うが、問題もある。最近は演出過多の時代で、それはそれで面白いのだが、その演出に問題があるものが多い。そういう場面に出くわしたらどうするか。嫌な演出で見るぐらいなら目をつぶって舞台は自分で想像するか、好きな演出を頭に描いた方がマシという考えもあろう。また、映像の世界では、歌手が大きくクローズアップされるので容姿や見栄えが音楽に優先してしまうという面がある。音楽を純粋に味わうために目をつぶって聴きたいという気持ちも理解出来ないわけではない。

 

だがしかし、ということで話は元に戻るのだが、舞台あってのオペラというのはやはり否定できない事実であって、舞台がなくてはオペラではなくなってしまう。演出が嫌いでも舞台は美しいかも知れないし、歌手の容姿・演技は素晴らしいかも知れない。或いは端役の新人歌手は美人かも知れない。逆に、歌手の容姿は役柄に合っていないとしても演出は面白いかもしれない。1つでもよい所があれば見る価値はあるのではないか。音楽を聴く力は多少低下するとしても、見る魅力はやはり無視できないと思う。最近の映像は舞台の細部まで見せてくれる。歌手の口の中まで見えるのは行き過ぎとしても、アリアを歌っている歌手の表情の変化や感情の高まりなどを鮮明に見ることができるのは大きな魅力である。「音楽が全てを語っている」から音楽だけで99%を享受できるとしても、見て得られる残りの1%も大きいはずである。それでこそ、本当にオペラを、音楽を、楽しむことになるのではないか。

 

以上はオペラについての話であるが、器楽曲についても同じことが言えるのではないか、というのが実は今回の主旨である。つまり、照明に反射してキラキラ光る舞台上の楽器、演奏者たちの服装や演奏ぶり、女ぶりや男ぶり、演奏が進むにつれて高揚する表情などといった見る要素も、実は器楽コンサートの大切な一部ではないか、と言いたいのである。コンサート会場で聴衆が皆、目をつぶっている光景は異様であろう。視覚を含めたその総体が音楽なのであって、要するに音だけへの過度の集中は、音楽の中に音楽以上のものを聴く道に繋がるように思える。私は器楽曲でも出来れば映像を望む。ではその場合、目と耳の力の配分は?その配分は難しい、時と場合によるからである。結局、自然体が良いということだろうか。最後に、CDで聴くときは何を見ればよいのだと問われると、これは困る、見るべきものがないから。再生装置を見てもしょうがないから、この場合は目をつぶりましょうか、但し眠り込まないように。皆さんはどうされていますか、なんとなく空間を見つめていますか?或いは目をつぶっていますか?

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

(20153月会報に掲載)