9.母 アンナ・マリア 

 

以前、モーツァルトの父親について書いたので、母親についても書いておきたいと思う。父親のレオポルトについては多くの記録が残されており、多くのことが書かれているが、母親については記録が少なく、書かれた物も少ない。殆どないと言っても良い位である。母親の名前はアンナ・マリア注)、旧姓ペルトルで17201225日生である。マリアは聖母、アンナはその母ということでこの両方をとった名前は多く、モーツァルトの姉はこれを逆にしたマリア・アンナ(通称ナンネル)である。アンナ・マリアはザルツブルク近郊の小村ザンクト・ギルゲンの出身で、父親はザルツブルク宮廷の地方管理官だった。彼女が4歳の時にこの父親が亡くなったため、母親と共にザルツブルクに移った。父が早く亡くなったこともあり裕福ではなかったようである。1747年にザルツブルク宮廷のヴァイオリニストであったレオポルトと結婚、時にレオポルト28歳、アンナ・マリア27歳。ザルツブルクでも評判の美男美女夫婦であったと言われる。レオポルトは後にミラノから手紙を書いている。「今日は私たちの結婚記念日です。私たちが結婚しようという素晴らし計画を持ってから確か25年になるはずです。この考えは確か幾年も前から持っていましたね。良いことをするには時間が掛かるものです」(17721121日付、アンナ・マリア宛書簡)。長い時間が必要だったのはレオポルトの収入の問題があったからではないか。

 

厳格・几帳面で努力型のレオポルトに対して、アンナ・マリアは素朴で庶民的、快活・楽天的な女性であった。冗談好きで、活気に溢れた早口の話し手で、生まれついての笑い上戸だったという。教養は必ずしも充分ではないものの、家事に熱心、夫に忠実で(夫の決定には決して異を唱えなかったという)家族のために愛情をささげた。家庭生活は幸福だったようで、正反対のタイプの夫とうまく釣り合いが取れていたのであろう。ザルツブルクの画家クローチェが1780年頃に描いた一家4人の有名な絵があるが、ほのぼのとした家族愛を感じさせるものである。父親は聖ペテロ大修道院で合唱も歌い、バス歌手として優れた存在であったと言われるが、彼女自身に音楽的才能があったという話は伝わっていない。しかし、隔世遺伝ということもある。モーツァルトは、両親の家系から芸術家・音楽家の素質を受け継いだとも言える。1756年までの9年間に7人の子供(43女)をもうけたが、生き延びたのは姉のナンネルと末っ子ヴォルフガングだけだった。これは当時としてはむしろ普通で、後にモーツァルトも6人の子供を持ったが、生き延びたのは2人だけだった。ヴォルフガングの後、2人に子供はできず彼が最後の子供となった。

 

彼女は初期の西方への大旅行には同行したがイタリア旅行には参加せず、ナンネルと共にザルツブルクに残った。しかし、1777年のマンハイム・パリ旅行にはレオポルトに代わって息子に同行する。レオポルトの旅行が大司教から許可されなかったからである。母親を同行させたのは、レオポルトが息子の処世術を信用していなかったためで、そのコントロールのためであった。しかし、厳格な父親から自由になりハメを外す21歳の息子をコントロールすることは彼女には荷が重すぎた。彼女は息子の目を盗んで夫に手紙を書く、「・・・あの子はガラリと心が変わってしまい、私の言うことには耳を貸しません」。彼女は外出して帰ってこない息子を寒い宿舎で一日中待ち、孤独に悩む。やがて健康を害し177873日にパリで客死(病死)する。57歳であった。パリではモーツァルトは就職活動で忙しく、母親の面倒を見る余裕がなかったのである。母の死の深夜、彼は亡き骸の傍らで2通の手紙をザルツブルクに書く。1通は、その死を伏せ、死への心構えを説く父姉への手紙と、もう1通は真実を知らせる友人への手紙である。父姉がその悪いニュースを聞いても刺激が和らげられるよう予めの手当を頼んだもので、彼のせめてもの心遣いだった。だが、母の死は彼の責任でもあった。このことは、同じ旅の中で起こったアロイジアへの失恋や就職活動の失敗と相まって彼の心に深い陰りを与え「イ短調ピアノ・ソナタK310」や、ザルツブルクに帰ってからの「協奏交響曲K364」に結実したとも言われる。

 

モーツァルトの人格の特徴はその極端な2面性にある。非常に厳格な面と軽快で変り身の早い面である。このことは当然ながら彼の芸術にも反映し、明るい中にも時としてギョッとさせるような厳格さを覗かせる。この相反する2面性こそは実に彼の芸術の根幹をなすものであり、古来、批評家を惑わしてきた「モーツァルトの謎」もここに由来する。恐らく彼はその厳格さを父親から、陽気・軽快さを母親から受け継いだ。母からのこの贈り物なくしては、彼の芸術は極めて一面的な、つまらないものとなっていたであろう。処世術の不足といった実生活上の欠点を母親から受け継いだのも事実だが、苦しみや悲しみといった暗い出来事に永く拘わらない変り身の早さも母からの贈り物である。また、彼はその成長過程で父親の厳格な教育を受けたが、優しく陽気な母親が側にいたからこそ、それに耐え得たのではなかったか。彼女こそ、天才モーツァルトを支えた影の立役者であった。―― 因に、モーツァルトのスカトロジー(糞尿譚)は有名だが、これもどうやら母親譲りらしい。マンハイムへの旅の出立早々、彼女は夫に向かってこれを一発お見舞いしている(1777926日付、レオポルト宛書簡)。これが出るのは母親・息子共々、気分爽快且つ絶好調の徴である。

 

 注)モーツァルト新全集では「マリア・アンナ」とされる。書簡でもレオポルトは妻のことを「マリー・アンヌ」と呼んでおり、妻も自分のことを「マリア・アンナ」と書いている。ここでは旧来の表記によった。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

201511月会報に掲載)