12.モーツァルトとムクドリ

  

1784527日、モーツァルトは1羽のムクドリ(星椋鳥)を購入し、現金出納簿にその値段34クロイツァー(約5,000円)を書込んだ。そして「見事だった!(Das war schön!)」と付け加えている。1784年と言えばピアノ協奏曲を中心とする彼の公開演奏活動の最盛期である。この鳥は、購入に先立つ421日付で完成したピアノ協奏曲ト長調K453の第3楽章変奏曲主題(譜例1)を歌ったという。きっと見事に歌ったのであろう。現金出納帳には鳥の歌った旋律が彼の手で書き残されている(譜例2)。協奏曲に比べ、小鳥の歌声が第3小節の後半で半音だけ上にズレているのは愛嬌か。小鳥の歌と彼の旋律の前後関係は不明であるが、「見事だった!(見事に歌った!)」という書き方からすると、彼の旋律が先で、購入後に彼がピアノか口笛かハミングで小鳥に教え込み、その小鳥が初めて彼の旋律を歌った喜びを、その譜面と共に、後に追加記入したのではないか。小鳥はその後、もっと上手に歌えるようになったであろう。

彼はこの鳥に「道化者」という名を付けて可愛がった。小鳥はその後も3年間この歌を歌い続け178764日、突然血を吐いて死んだ。父レオポルトの死の1週間後であった。彼は父の葬儀には参列しなかったが、この鳥のためには自宅の庭に墓を造ってやり、丁寧に葬って、「ここに眠るいとしの道化、1羽のムクドリ、・・・憎めないやつだった、ちょいと陽気なお喋り屋、ときにはふざけるいたずら者、でも阿呆じゃなかったね。・・・」という追悼の詩を作りその霊に捧げた。モーツァルトの心やさしい性格の一端が窺えるユーモア溢れる一編である。

 

彼は犬と共に小鳥が好きだった。彼がまだ小さい時モーツァルト家は、誰が好きだったのか、カナリア、シュジュウカラ、胸赤鳩などを飼っていた。イタリア旅行中の彼はナポリから姉ナンネルに手紙を書き、カナリアが鳴いているかどうかを聞いている(1770519日付書簡。 また、マンハイム・パリ旅行の出発直後の手紙では、ナンネルを「カナリア姉さん」と呼んでいる(1777923日付書簡)。こういう昔の事を思い出したのであろう、彼は死んだムクドリの身代わりに、今度はカナリアを飼う。この鳥は長生きでよくさえずり、彼を楽しませた。晩年の4年間、彼は日々自宅のカナリアの声を聴きながら作曲したのであろう。インスピレーションの泉にしたのかも知れない。死期を間近にした時に始めて、その活発な声が耐え難くなったのか、この鳥を遠ざけるよう頼んだという。

 

鳥といえば「魔笛」に登場する鳥刺しパパゲーノも鳥男だ。実は彼はオウムだった。「パパゲーノ(Papageno)」の名前は「おうむ」を意味する古フランス語の「パパゲー(Papagei)」に由来するそうである。「おしゃべりな人」の象徴だそうだ。彼の登場アリア「俺は鳥刺し」(第1幕、第2番)を書きながら、モーツァルトは可愛がっていたムクドリを思い出していたに違いない。冒頭に掲げた協奏曲の主題旋律もどこか第2幕のアリア「恋人か女房か」(第20番)と似ている。また、最後の「パパパの二重唱」(第2幕、フィナーレ)の跳ねるような音型は、確かに鳥のさえずりを連想させる。この鳥男こそ、道化が大好きで、好んで道化師アレッキーノを演じたモーツァルトの自然児としての一面(彼には父親譲りの非常に厳格で真面目な、タミーノとしての反面もあった)を示す自画像の1つであろう。また彼は1772年にミラノから姉に向けて、オペラ上演に関する現地の状況をダジャレ混じりに伝えているが、その手紙の中で、火がついて燃えているハートと、「さあ、飛んで行って僕の可愛い子ちゃんを探せ。すみずみまで探せ!」と言いながら鳥が飛んでいる漫画を書いている(17721218日付書簡)。

 

そういえば、モーツァルトにはどこか鳥のさえずりを思わせる旋律が多い。トリルや前打音、スタッカートが多く、軽快に跳ねるような彼の旋律がそう感じさせるのであろうか。1791129日の日付を持つ「6つのドイツ舞曲K600」の第5曲の中間部で、フルートとヴァイオリンの軽快なトリルでカナリアのさえずりを表現したのは有名だが、ここまでの描写的模倣は例外としても、晩年の一連の宮廷用舞曲を聴いていると、至る所に鳥のさえずりを感じる。これだけではなく、鳥を連想させる旋律は、多くのピアノ曲、例えばピアノ・ソナタK545の第3楽章のテーマ(カッコー)やK311(第13楽章)、K331(第3楽章)、ピアノ曲以外にも「雀のミサ」K220(第45曲)、晩年の弦楽三重奏曲K563(終楽章)など枚挙に暇がない。冒頭に挙げたピアノ協奏曲の第3楽章も全編が鳥のさえずりに満ちている。彼は自然を描写する作曲家ではなく、従って、一部の例外を除き、鳥のさえずりを意識的に描写するつもりはなかったであろう。それにも拘らず、彼の自然な旋律は、どういうわけか鳥を想起させる。これは一体どういうことであるか。それは両者がごく自然な関係にあること、即ち両者の本質的な同質性を物語るものと言わなくてはなるまい。彼の旋律は、多く、鳥のさえずりを内在しているのである。

 

鳥とは一体何であるか。それは軽み、素早さ、そして飛翔だ。鳥のこの特質がモーツァルトの音楽の、或る本質的な部分と共鳴する。モーツァルトの音楽は「軽さが沈み、重さが浮く」と言われる音楽である。この浮遊感こそ実にモーツァルト音楽に特有のもので、他のどの音楽にもないものだ。それは浮遊して素早く動き回り、飛翔する。そして小鳥となって紺碧の空に舞い上がり、時空を超える。時空を超えた小鳥はどうなるか。小鳥の天使にでもなるより仕方があるまい。モーツァルトが天国で天使となったムクドリと再会しなかったと誰が言えようか。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

20162月会報に掲載)