自由、平等、博愛(友愛)はフランスを中心とする18世紀啓蒙主義の基本思想であり、1776年のアメリカ合衆国の独立宣言に理論的基礎を与えると共に1789年のフランス革命のスローガンとなった。この内、博愛はとも角、自由と平等は人権の2大支柱として並び称され現代に至っている。他方、各人の素質と環境には不可避的に差異がある以上、自由と平等は本質的に矛盾・対立する関係にあるとも言え、両立は思ったほど簡単ではない。そしてその順番はあくまで自由が先に来る「自由と平等」であり、「平等と自由」ではない。これは単に語感・ゴロの問題ではなく、ここには人間性の本質に絡む問題が潜んでいる。即ち、自由と平等は共に人間存在の基本的基盤ではあるが、我々人間は、自由が保証されていれば多少の不平等は耐え忍べる一方、幾ら完全な平等を実現し得たとしても、自由を制限されることには我慢できない本性を持つ。自由に重心を置くのが資本主義・自由主義で、平等を優先するのが社会主義・共産主義であるが、何れが人間性に適っていたかは1990年のソ連邦の崩壊が示すとおりである。自由こそは人間存在の第1の根本と断ぜざるを得ない所以である。
なぜ、こんな話を長々と書いたかというと、実は、18世紀の音楽家の中でモーツァルトほど自由を希求した人はいないからである。彼は、マンハイム・パリ旅行で就職に失敗した後、1781年、25歳の時にザルツブルク大司教と喧嘩別れし、自由(フリーランス)な音楽家としてウィーンに移り住む。幼少時から広い世界を見てきたモーツァルトにとって、ザルツブルクは余りに狭く小さな田舎町であったし、雇い主のコロレド大司教は彼に自由な音楽活動どころか、大きな制限を加えた。同時に、父親のレオポルトからも独立したかったこともあろう。勿論、独立とはいっても、当時の貴族社会を考えれば、彼も先ずは宮廷の定職に就き、そういう安定した生活の中で自由な精神・音楽活動を望んでいたわけではあるが。とも角、反抗心にも駆られての大司教との大喧嘩の末、晴れてというか、図らずもというか、自由な音楽家となった彼は、ウィーンでのオペラ第1作「後宮からの誘拐」で、侍女ブロンデに、後宮の番人オスミンに向かって、「私はイギリスの女で、自由の身に生まれついたのよ!」(第2幕、第1場、ディアローグ)と宣言させている。ようやく独立のなったモーツァルトの高らかな自由宣言でもあっただろう。――ところで話は逸れるが、ブロンデは何故イギリス人なのだろう。実はモーツァルトはイギリス贔屓で、或る英仏の戦いの結果について次のように書いている。「実際、イギリスの勝利を聞いて僕も大いに喜んでいます。ご存知のように僕は生粋のイギリス人ですからね」(1782年10月19日付、レオポルト宛書簡)。パリでの経験が彼をフランス嫌いにしたのだろうか。或いは、英国での師J.C.バッハへの敬愛の故か。
1787年、モーツァルトはプラハの町からの依頼に応えオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を作曲する。この作品の第1幕フィナーレは間違いなく本オペラ、否、全オペラ中の白眉であろうが、ここで、ドン・ジョヴァンニは、招かれて彼の館の宴会に入ってきたドン・オッターヴィオ、ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラを迎え、「誰でも歓迎します。自由よ、万歳!」と歌う。その中で、「自由(Liberta)」という言葉が実に11回繰り返して歌われるのである、しかも従者レポレルロを加えた5人が全員で口を揃えて。ここで場面は異様に盛り上がり1つのクライマックスを形成するが、これは一体何を意味するのであろうか。ここには重層的に3つの自由が表現されているように思える。1つはドン・ジョヴァンニの主張する自由、2つ目はモーツァルトの信望する自由だが、もう1つの自由があった。プラハの人たちが希求する自由である。プラハを中心都市とするボヘミア地方は、元来スラブ系のチェコ人を中心とする独立王国であったが、16世紀以来神聖ローマ帝国を標榜するハプスブルク帝国に編入され、謂わば、民族も文化も異なる二流市民としてウィーンの風下に立ってきたのである。自由と独立は彼らの宿願であった。自由を掲げるオペラ「ドン・ジョヴァンニ」がプラハで大変な成功を収めた背景には、このようなこともあったのではないか。本作がウィーンでは不評であったことも逆の意味で理解できる。何れにしろ、「自由」を連呼することで彼は単にプラハでの受けを狙っただけではないだろう。むしろここには、自由と平等を希求するプラハの人達に対する彼の温かい共感がある。
ウィーン移住によって自由を得たモーツァルトだったが、それは何も物理的な自由に留まらない。音楽に於ける精神の自由こそモーツァルトにとって何よりも大切なものであった。何者をも拒まない精神、どんな思想にもドグマにもとらわれない精神、人の性をあるがままのものとして真っ直ぐに見つめ肯定する精神、これらこそモーツァルト音楽の精髄である。そういう自由な精神を、彼は、最晩年に至り最終的且つ完全な形で獲得する。最後の年の作品、ピアノ協奏曲K595、クラリネット協奏曲K622、ホルン協奏曲K412/514、或いはオペラ「魔笛」を聴く者は、そこに現前する、柔らかく透明で驚く程純粋な裸の精神を見るであろう。そしてそれが、彼が生涯を掛けて追求してきた自由な精神の究極の姿だということを感得するであろう。
日本モーツァルト協会会員
K465 小澤純一
(2015年10月会報に掲載)