20.宮廷パン屋の娘

 

 177710月、モーツァルト子は、マンハイム・パリへの就活旅行中、アウグスブルクに立寄っていたが、そこに、父レオポルトから1通の手紙が親宛に届く。ザルツブルクでの々な出来事の報告の中で、次のような節があった。「さて、もう1つ別の話があります。ヴォルフガングに伝えて欲しい。例の宮廷のパン屋の丸い眼をした娘、ツム・シュテルンでよく彼と踊っていた子のことだが、ヴォルフガングにえらく愛想がいいと思っていたら、そのあと、ロレートの修道院に入ってしまった。それがまた父親の家に戻ってきたのだよ。ヴォルフガングがザルツブルグを離れると聞いて、多分もう度会って引き止めようと思ったのだろう。豪勢な支度を整えて修道院に入った以上、ヴォルフガングはその金を、彼女の父親に弁償するべきだと思うのだ」(1023日付)というわけである。

これに対してモーツァルトは、「例の宮廷のパン屋の娘のことですが、どのようなことが起ころうと異議は申しません。ずっと前からそうなるだろうと思っていました。なぜ僕が出発をためらい、別れに胸を痛めていたかは、このためだったのです。でもこの話は、ザルツブルク中に知れ渡ってはいないでしょうね。お父さん、心からのお願いですが、この話が出来る限り広がらないよう にして下さい。そして後生ですから、彼女が修道院に入った時の豪華な支度のために父親が負担した費用を、僕がザルツブルクに戻るまで、そしてごく自然に、妖術も使わずに、病気になったあの可哀そうな娘が再び健康を回復し、修道院の生活にすっかり落ち着くまで、僕に代わって支払って頂きたいのです」(17771023-25日付書簡)と返事している。

以上が事の次第に関する全部である。皆さんはこれを読んでどう思われるだろうか。何時もは厳格なレオポルトもそれ以上は追 及していない。モーツァルトがザルツブルクにいた時の話であるから、彼が20歳頃の事件である。それにしても勝手なものではないか。相手への気遣いどころか、自分の悪評が広がるのを恐れて、父親に火消しを頼んでいる。更に、弁償金まで父親に尻拭いさせようとしている。ケルビーノにしては少々年をっているが、ドン・ジョヴァンニという風格でもない。モーツァルトはザルツブルクという田舎町ではやはりモテたのである。体格は少々貧弱で、顔も冴えなかったようであるが、やはり、そこは、神聖ローマ帝国皇帝、フランス国王、イギリス国王という当時の3巨頭を始め、ヨーロッパ中の大貴族の謁見を許され、御前演奏をしてきたセレブなのであり、そして、女の子というものはいつの時代もセレブには弱いものである。兎も角、1人の女の子を修道院に入るまでに追い込んだ訳であるから、本人も少々行き過ぎたと思ったことであろう。因に、フェリックス・フーフという人が「小説モー ツァルト」という本の中で、上記の記録を基に1篇の物語を仕上げている。純真な少年と少女の美しくもはかない物語となっているが、美化しすぎであろう。ところで、モーツァルトの女性関係については、実は、これより以前の記録も残されている。

モーツァルト6歳の時のシェーンブルン宮殿でのマリー・アントワネットとの話は有名であるが、それ以外で現存する最初の記録 は、モーツァルト家と親しく交際していたギロフスキー家の娘でマリア・アンナ・カタリーナ(1750-1802)と想定される女性へのモーツァルトの手紙であり、日付はないものの1769年と考えられている。モーツァルト13歳、お相手は19歳である。この手紙の中で彼はラテン語の文章を書き、相手に読めるかどうかを問うている。まあ、これが恋文と言えるかどうかは疑問であるが、彼は 旅に出ている間、しばしば女の子への彼からの挨拶を姉に依頼している。優しいお姉さんのナンネルは弟の要望に答えてあげていたのであろう。イタリア旅行中の1771913日付のミラノからの手紙では「フォン・メルク嬢に、僕がザルツブルクでの再会をとても楽しみにしているとお伝え下さい。僕はただ、彼女の演奏会でもらったのと同じようなプレゼント(キスのことか?)を、メヌエットのお礼にもう度もらいたくて。そう言えば彼女は分かってくれます」といった具合である。フォン・メルク嬢(1752-1823)は当時19歳、モーツァルトより4歳年上であった。同じくミラノからの 1772117日付の手紙では「例の婦人(もうお分かりですね)の家に行って下さったことと思います」と確認している。例の婦人とはフォン・メルク嬢のことであろうか。しかし、同年1212日に父レオポルトは妻宛に「ヴォルフガングがフォン・メルク嬢にメヌエットを贈らなかったのはまずかったが・・・、でも、あの子がバリザーニ嬢のことを先ず考えてしまったのは全く当たり前のことです」と述べ、フォン・メルク嬢からバリザーニ嬢への心変わりを示唆している。

バリザーニ嬢への愛は続き、17741228日にミュンヘンから姉宛に「忘れずに約束を果たして下さいね、ほら、例の訪問のことです。・・・どうぞ、くれぐれもよろしくお伝え下さい。・・・できるだけはっきりと、心を込めてね、そして、ああ、僕はそんなに悲観するに及びませんね。お姉さんのこと僕はよく知っています、どんなに優しい性格かも。出来るだけのことをして僕を喜ばせてくれると確信しています」と、姉にゴマをすりながらお願いしているかと思うと、2日後の1230日の手紙には今度は別の女性が登場する。「ミツェルル嬢にありとあらゆる挨拶をお願いします。彼女は僕の愛を疑ってはいけません。彼女は常に魅惑的なネグリジェ姿で僕の目の前に浮かびます」というわけである。ミツェルル嬢とはモーツァルト家の隣家のお嬢さんだが、どうも年齢がはっきりしている中では年上が多く、ケルビーノ的なのが少々気になる。だが、20歳を過ぎた辺りから年下が増えてくるので、まあ良いのかも知れない。何れにしろ、彼も、初期のケルビーノ的愛はこのあたりで卒業し、例のパン屋の娘との事件を経て、いよいよ、マンハイム・パリ旅行でのベーズレ嬢とのジャレ合いから、アロイジア・ヴェーバー嬢に本気の恋をして失恋するという経過をたどって、人前の人間に成していくわけである。

最後にマンハイム・パリ旅行中の淡い恋を1つ。モーツァルトはマンハイムで宮廷楽のカンナビヒと親交を結ぶが、楽には娘がいた。彼は上の娘のロジーナ・ペトロネッラ(1764年生まれ、愛称:ローザ)が気に入ったらしく、「とても美しく、感じのいいお嬢さんです。彼女は年齢(13歳)の割にとても賢く、落ち着いた態度です。真面目で口数は少ないのですが、話す時は愛らしく好意 に溢れています。・・・僕は、今度のソナタ(K309)のアンダンテをローザ嬢の性格そっくりに作曲しました」と父親に書送っている(1777126日)。事実、アンダンテの中のローザ嬢はとても優雅でチャーミングである。彼女はこの曲を上手に弾いたそうであるが、恋そのものは淡いものだったようで、深入りした形跡は見られない。しかし、手紙を読んだ父レオポルトはピンと来た。後にモーツァルトからアロイジアとのイタリア旅行の計画を打ち明けられた際に、「カンナビヒさんの娘さんをさんざん褒めてこの娘の似姿をソナタのアダージョの中で表現したが、要するにこの娘がお前のお気に入りの娘だったのだ」(1778214日付書簡)と、この件も持ち出してモーツァルトを責めている。さすが父親だ、息子の惚れっぽく移り気な性格を知り抜いていたのだ。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

20171月会報に掲載)