ここ数カ月、「魔笛」、「ドン・ジョヴァンニ」など、オペラに関することを書く事が多かった。オペラは「劇作家」モーツァルトの作品の核心部に当たるため、言及が多くなるのは已むを得ざる仕儀ではあるが、そうは言ってもオペラ以外を好む会員の方も多いであろう。ついては、今回を以てオペラ関係の当面の締めとしたい。モーツァルトは11歳の時のオラトリオ「第一戒律の責務」を皮切りに、19歳での劇的セレナータ「牧⼈の王」まで、10代に11のオペラ的作品を作曲しているが、劇に彼独自の主題と内容が盛り込まれるのは、次の24歳の時の作品「イドメネオ」からである。それまでは慣習に従って与えられた台本をそのまま使用した。だが、ザルツブルクでの大司教との確執と忍従の日々、マンハイム・パリ旅行などでの労苦が、彼の⼈生経験と⼈生観に厚みを加え、それが「イドメネオ」に反映される。これ以降、彼は、台本についても台本作家をリードするようになる。
主題という観点からモーツァルト・オペラを見た場合、先ず誰もが指摘するのが《父と子》の関係であろう。モーツァルトとその父レオポルトの関係は中々複雑であった。レオポルトは大変な秀才で教養⼈でもあったが、音楽家としても優秀で、有名な「ヴァイオリン教程」の著者でもある。彼は息子に天才を発見して以来、後半生を息子の成⻑に賭けた。音楽を始め、語学、歴史、地理、 数学、等々を全部自分で教えると共に、何度も欧州を股にかけた大旅行を敢行し、息子の才能の開発と名前の売り込みを図った。モーツァルトを作ったのはレオポルトであると言っても過言ではない。息子に対する彼の影響力は絶大で、息子は父を尊敬し従順に従った。だが、⻑ずるにつれ、息子にはそれが支配と感じられるようになり、やがて父の反対を振り切ってウィーンで独立し、独断で結婚もしてしまう。父は見捨てられたと感じたであろう。息子にとっても、この一種の父殺しの意識は罪悪感となり、生涯、心のキズとして残る。この父との関係はモーツァルトの生涯の呪縛であり、「イドメネオ」以降の彼のオペラに様々に形を変えて影 を落とす。特に「後宮からの誘拐」、「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」にはその影が色濃く反映されている。
次に個別のオペラ毎にその主題を見てみたい。先ず「イドメネオ」であるが、ここでは、クレタの王イドメネオとその息子イダマンテとの心の葛藤と和解、並行して、トロイの王女イリアのイダマンテに対する愛が描かれる。彼女は愛のために自己を犠牲にすることを決意し、行動する。それを見た海神ポセイドンはイドメネオの罪に赦しを与え、若い2⼈の命を助ける。自己犠牲の精神が海神の心を揺さぶるのである。その意味で、《父と子》の関係、及び《愛と自己犠牲と赦し》の問題が、このオペラの主題と言える。これに続く作品が翌年の「後宮からの誘拐」だが、この作品にも《父と子》と《愛と自己犠牲と赦し》が見られる。太守ゼリムとベルモンテは一種の《父と子》の関係であり、《愛と自己犠牲と赦し》は、逃亡に失敗し死を覚悟したコンスタンツェとベルモンテという恋⼈同士の相互自己犠牲の決意と、それに対する太守ゼリムの赦免に見られる。彼は以前ベルモンテの父にひどい目に会っており、恋⼈、地位、財産を全て奪われ、故国を追われた。その太守が仇敵の息子を手中に収めながらも赦しを与え、帰国を認めるのである。なお、本オペラに関しては、《自由》を主題に加えることも可能であろう。父親の束縛を逃れ、ウィーンでの自由な生活を満喫し始めたモーツァルトの開放された気分を反映しているのであろうか、このオペラには、確かに、自由を称揚する気分が漂っている。また、侍女ブロンデによる「私は自由なイギリス⼈」というアリアもある。
さて次は、いよいよモーツァルト・オペラの核心であるダ・ポンテ三部作となる。先ず、「フィガロの結婚」であるが、この物語の主筋は貴族で主⼈のアルマヴィーヴァ伯爵と従僕であるフィガロとの、許嫁スザンナの初夜権をめぐっての争いである。そして、副筋として伯爵と伯爵夫⼈の愛の葛藤がある。フィガロは伯爵と、身分は弁えながらも堂々と対等に戦う。伯爵夫⼈は夫の浮気の現場を押さえるが、最後は夫を赦す。即ち、主題は2つ、《平等》と《愛と赦し》である。次の「ドン・ジョヴァンニ」の主題は、これはもう《自由》であろう。第1幕のフィナーレでは、登場⼈物全員による《自由万歳》の合唱が11回も歌われる。ここには3つの自由がある。ジョヴァンニの求める、全ての社会的・倫理的束縛からの絶対的な自由、モーツァルトの求める芸術家としての自由、そして、従属国家として常にウィーンの風下に立ち、ウィーンからの独立を希求していたボヘミア⼈の自由である。このオペラがボヘミアの首都プラハのために作曲され、熱狂的に歓迎されたのにはそう言う背景もあろう。同様の理由で、ウィーンでの 初演の不評も頷ける。副主題として、エルヴィーラのジョヴァンニに対する《愛と赦し》も加えてもよい。更に、ジョヴァンニと騎士⻑の闘争に《父と子》の関係が見える。最後の「コジ・ファン・トゥッテ」、これも《愛と赦し》である。ここでは特に《愛の変転と赦し》が描かれるが、登場⼈物を個性化せず、あえて類型化することによって、「⼈は誰でも・・・」という印象を強調している。その結果、彼らの愛と赦しは普遍化され、《友愛/博愛》に近いものとなっている。
最後は最晩年の「皇帝ティートの慈悲」と「魔笛」である。「ティート」であるが、このオペラの主題は誰が考えても《博愛》であろう。博愛の典型ではあるが、ただ、戴冠式オペラとしての性格から、内容的にはやや形式的・観念的な感を否めない。むしろ、このオペラの真の主題は、ヴィテリアに対するセストの《愛と自己犠牲》であろう。現代⼈に訴えるのもその点にある。最後の「魔笛」だが、この不思議なオペラの主題は中々複雑である。「理性と叡智」、「愛と徳」などの言葉が頻出するので、叡智と理性に基づく愛と徳が主題と考えられるが、更に「友情と愛」、「⼈は⼈を愛し」というような台詞もあり、ここでの愛は個⼈を超えて、より普遍的な《友愛/博愛》にまで至っている。《愛》、《自己犠牲》、《赦し》はモーツァルト・オペラ全体を貫く主題ではあるが、ここではその対象を汎⼈類的に拡大しており、ここにモーツァルト思想の最終的な形を見る⼈もいる。
こうして見てくると《愛と赦し=博愛》、《自由》、《平等》が彼のオペラの中心主題として浮かび上がってくる。彼のオペラには愛が頻出するし、自由と平等も彼が生涯に亘って希求したものである。これらはフランス革命のスローガンでもあり、このことは、彼が、ロココの絶対王政下の⼈であったと同時に、フランス革命の時代の⼈でもあったことを強く印象付ける。アメリカ独立宣言 も彼の時代の出来事であり、時代は正にそこまで来ていたのである。彼は激動の時代の最先端を生きた⼈だった。ところで最後に一言。モーツァルト音楽に頻出するのが《愛》であるが、一般に、愛は死と結びつく。愛の行為が死を連想させるからである。フランスではこれを「小さな死」という。愛と死。ヴェルディ、プッチーニ、ワーグナーのオペラでは何れも、愛は死に繋がる。両者は一体化し、ヒロインの「愛と死」が観客を泣かせる。だがこれは19世紀の通念であって、18世紀啓蒙主義に基づく理性の時代の⼈モーツァルトは違う。彼に於いては「愛は赦し」と結び付く。⼈は一時の感情に流されて簡単に死んではならないのである。この非常に抑制の効いた理知的なオペラは彼によって開発され、完成され、完結された。「完結された」とは、即ち、「凌駕され得ない」ということであり、後継者はいない。
日本モーツァルト協会会員
K465 小澤純一
(2017年12月会報に掲載)