36.何故、美しいものは悲しいのか(1)

  

或る春の日、所要のため新幹線に乗った。私にしては珍しく午前中の移動で太陽は東にあり、富士山がその光を真正面に受けていた。真っ青な空の下、上部を白い雪に覆われたその孤高の姿は誠に神々しく、私はそれに見とれた。古来、日本人がこれを美のモデルとして、その美意識を育てて来たことを改めて感じさせる美しさであった。ふと涙が出そうになった。私はその時、別に悲しかったわけではない。ただ「悲しいほど美しい!」と感じただけだ。この感覚は乗車中も暫く続き、以前、続けて2回ほど同じ感覚を味わったことを思い出した。最初は、あるCDショップで、店内に流れていたモーツァルトのアリアを歌うソプラノの声が聴こえてきた時で、2回目は、カルチャー教室で流された「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聴いた時だった。何れも、余りの美しさを感じた瞬間、涙が出そうになり困った記憶がある。この涙は、ロマン派オペラの悲しい場面で流すものとは異なり、謂わば、美そのものに直接感応して流れると言った趣のものだった。モーツァルトの、殊に長調の美しい旋律にはこういう現象を促すものが多く、これが彼の旋律の著しい特徴を成すわけだが、では何故?となると良く分からない。美とは本来、快感を与えてくれるもののはずである。だが、それが極まり、極美という状態にまで高まると、快感の中にある種の悲しさを宿すようになる。これは不思議な事ではあるまいか。この不思議を考えるには、我々にとって美とは何か、我々の美意識は何に根ざしているのか、ということを先ず知る必要がある。そうして初めて、「美」が何故「悲しさ」と結びつくのかを考えることが出来る。

 

人は美しい物を見ると無関心ではいられない。時にそれは人の心を狂わせる。それは本能の働きであり、理性を停止させる。古来、人間は、美とは何か、美の構成要素とは何か、ということを考え続けてきた。古代ギリシャで盛んに追究されたのは、数値を基に、単純な比率や黄金比に美を求める考え方である。そして美には普遍的な法則があり、人間の美意識もこれに基づくと考え、その法則を人体に当て嵌めた。だが、現実の美人の顔は必ずしもこの基準には当て嵌まらない。単純な比率や黄金比は美の規範ではあろうが、人間の美意識はもう少し複雑なのかも知れない。完璧な形を少し崩した所に本当の美を見るからである。また、美が普遍と言うならば、「豚も人間と同じ美意識を共有する」のか。 

 

一方、人間の美意識は後天的に獲得されたものとする説もある。これによれば、美意識は人類200万年の進化の過程で、私達の体に即して育まれて来たと説明される。「美=比率」ではなく、「美=健康」だと考えるのである。厳しい生存環境下にあった原始人類にとって、自己の生存と子孫の繁栄を図るためには、強い「生命力」と「生殖力」を有する「健康」な伴侶の選択が不可欠であった。彼らはそれを、手っ取り早く、外観で判断した。外観とは「左右均衡で整った」姿形である。整った体は正常な発育と寄生虫がいない事を示し、健康な個体である蓋然性が高い。病気や害毒に冒された体は不均衡になり易い。何世代にも亘ってそういう選択を繰り返す中で、やがてそういう姿形を「美しい」と感じる意識が芽生え、次第に美意識として定着していった。美意識の誕生である。このように、美は、自然淘汰/性淘汰に於ける、種の保存行動との関連で意識化が始まったのであり、この美意識の形成こそが人類の生存と進化を可能にした。その意味では「豚には豚の美意識がある」と言うべきか。人類は、この根源の美意識を基に、その後の文化活動を通じて美の概念を身体の枠外に拡張してきたのである。以下、美意識と健康の関連を示す具体例を少し見てみるが、価値判断を含まない純然たる統計的記述であり、個人への適用の問題ではないので、ご留意願いたい。 

 

先ず、体形であるが、人間の雌、即ち女性は、くびれた胴体、俗にヴィーナス形と言われる体形をしている。そして雄、即ち男性はそれを美しいと感ずる。何故か。その形が健康、特に生殖に有利な特徴を表わすからである。女性は思春期になると、胸と腰/大腿部に生殖のために必要な脂肪が付く。これは飢餓状態が通常の原始時代には、妊娠を確実にするために必要なエネルギーの蓄えであった。男性とは異なり腹部には脂肪が付かない。くびれた腰は子孫を増やす確率が高いのである。ヒップ/ウェストの比率と生殖力の関係には統計があり、ウェストのヒップに対する比率が0.8以下の女性は、それ以上の女性に比べて妊娠する割合が2倍以上あると言われる。但し、女性も加齢と共に男性ホルモンの分泌割合が増加し、男性同様、腹部に脂肪を蓄えるようになる。現代では肥満が問題とされるが、それは、この飽食の時代にあっても、エネルギーを出来るだけ蓄えるという、飢餓を前提とした人間の機能は原始のままだからである。一方、女性は、背が高く胸板の厚い男性の体形に美を見る。女性を保護する力と生殖力を体現する体形だからである。また、両性とも「若い体」に美を見る。これも、そういう相手を選択する事が生存と生殖に有利に働くからだ。ところで、嘗ては「男は写真で相手を選び、女は履歴で相手を選ぶ」と言われた。男性は相手の健康を外見で判断すれば良いが、妊娠する側の女性にとっては、事はそう簡単ではない。妊娠/育児期間中、更には一生の保護保証が必要で、相手の正体を長期的視野で慎重に判断する必要があったからである。男は量、女は質なのである。 

 

この他の外見上の健康判断の材料は、顔を別にすれば、肌と毛髪である。人間は何故、体の被毛を失ったのか。これは、人類がアフリカの熱帯サバンナの暑く乾燥した環境の下で進化したことを示している。人類は被毛を失うことによって、皮膚呼吸、つまり汗をかき、気化熱で体表を冷やすことが出来るようになった。長時間走り続けることが可能になったのである。他の動物は被毛があるため、汗をかくとその中で蒸れてしまう。従って汗腺がなく、息でしか体を冷やす手段がないため、人間ほど持久力がない。これは犬でも馬でも同じで、短距離は速いが、長時間は走れないのである。42キロを走り続けられる動物は人間以外にはない。人間は獲物を疲労させて狩る持久狩猟をしていたのだ。このように人間は相手の健康を、露出した肌で直接判断できるようになった。きめ細かく滑らかな肌や、艶やかな毛髪は健康の証であり、美しいと感じられるのである。最近では肌を美しく見せるため脱毛までする。以上、美とは健康であり、健康とは若い体、左右均衡で整った体形、ヴィーナス形(女)/厚い胸(男)、滑らかな肌、艶やかな毛髪などであり、これらが人間の美意識の根源を成すことについて述べてきた。モーツァルトからは大分離れてしまったようだが、そうではない。大いに関係するのだが、それについては次回に譲る。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

20189月会報に掲載)