49.モーツァルトは毒殺された?

 

 125日はモーツァルトの命日である。だが、その死の様相は楽史に於ける最大の謎の1つとして残されている。この天才楽家の死については公式の検視報告書が作成されておらず、また埋葬場所も不明なため遺体の検証も出来ず、死因を特定出来ないのである。聖シュテファン大聖堂の死亡登録簿に記された死因は「急性粟粒疹熱(発汗熱)」となっているが、これは「病気は急性のもので体に斑点と熱があった」という症状を示しているだけで、病名を示しているわけではない。死亡直後、体にむくみがあったと言われ、毒殺の噂も流れた。以来今日に至るまで、残された彼の書簡と関係者の証言を基に多くの論者が、時には政治的・人種的な思惑も絡めて論争を繰り広げて来た。関係者の証言と言っても、モーツァルトの死後数十年を経過してからのものが多く、その信ぴょう性や証言者の思惑なども絡んで、その解釈は簡単ではないのである。

 

【病死説】

代表的なものとして「腎臓病説」と「リューマチ熱説」がある。前者は更に、細菌感染腎不全尿毒症うっ血性心不全へと進行したとする説と、腎不全高血圧症心不全という進行を考える2説に分かれる。後者は、発生した熱が心臓弁膜症を引き起こして心不全に至ったとする。病気の最終段階は急激で、最後の2週間に一気に進行した。それに加えて当時の治療法である「瀉血」が施され、貧血で死を早めた。以上、非常に大雑把にまとめたが、論者は主に医師であり、医学上の細かい論及がなされるのだが、分析の基となる証言の医学上の解釈も様々であり、どの説も細部については断定が難しいようである。病名としては上記2説の他、先天性奇形症候群、伝染病、血斑疾患、甲状腺発症なども挙げられる。以上の病気については過去の病歴と結びつける説と関係ないとする説がある。なお、モーツァルトは幼い頃から多くの病気に罹患した。リューマチ熱(6歳)、腸チフス(9歳)、天然痘(11歳)、A型ウィルス感染(15歳)、リューマチ熱の再発/慢性腎不全(28歳、31歳、34歳)など、よく3510か月まで頑張って生きたとも言える。

 

【梅毒治療失敗説】

コロンブスが南米から持ち込んで以来、当時、梅毒は全ヨーロッパに蔓延していた。人口の3040%が罹患していたとも言われ、楽家の間にも梅毒の患者は多かった。必ずしも女性との接触による罹患だけでなく、体内で親から感染する先天的なケースも多かった。モーツァルトが罹患していたと言う記録・証言は残されていないが、本説はモーツァルトが罹患しており、治療のための処置を誤って死亡したとする。「発熱療法説」と「水銀療法説」の2説があり、前者は、発熱を促すために故意に罹患した腸チフスによって死亡し、後者は、薬として服用した水銀によって中毒死したとする。友人のヴァン・スヴィーテン男爵は水銀療法に詳しく、モーツァルトのために処方したが、服用量を間違え死に至らしめた。彼はその発覚を恐れ、遺体を検視させず、埋葬には誰も立ち会わせず、埋葬場所も不明確にして遺体の検査が出来ないようにした。不名誉な死であり、コンスタンツェ以下の関係者も簡便・迅速な 葬儀に同意し、病死と偽るための口裏合わせの証言をしたとする。

 

【毒殺説】

「サリエリによる毒殺説」が有名である。これを題材にしたのがプーシキンの詩劇「モーツァルトとサリエリ」で、リムスキー=コルサコフがこれを楽化している。シェーファーの戯曲「アマデウス」(フォアマン監督により映画化)もこの説を基にしている。才能に対する嫉妬や宮廷の地位を巡っての確執などが動機とされるが、実際にはモーツァルトは彼の地位を脅かす立場にはなく、晩年は両者の仲はむしろ円満であった。彼は「魔笛」上演にサリエリとその愛人カヴァリエリ嬢を誘っており、サリエリも「魔笛」を称賛した。両者は楽の共作もしている。つまり、動機はないのである。この他、「魔笛」で秘儀を開示されたフリーメーソンの犯行とする「フリーメーソン犯行説」もある。だが、同じフリーメーソン会員で「魔笛」の台本を書き、興行主でもあったシカネーダーは狙われていない。この他、「フィガロの結婚」で批判されたウィーン貴族たちが、弟子のジュスマイヤーに圧力をかけ毒殺させたとする「ジュスマイヤー犯行説」もある。ジュスマイヤーは本来サリエリの弟子であったが、モーツァルトに近づき妻コンスタンツェと深い仲になる。目的達成後は彼女に冷たくなったと言う事だが、これが本当とすれば、当初、彼女が「レクイエム」完成を彼に依頼することを躊躇した理由も分かるが、事実はどうであったか。話が段々ミステリー小説に近くなる。更に、ホーフデーメル事件”と結びつけた「ホーフデーメル犯行説」がある。モーツァルトの死の翌日、宮廷の官吏であったホーフデーメルという人が、妻マグダレーナに傷を負わせ、自身は自殺するという事件があった。マグダレーナは非常なる美人でモーツァルトのピアノの弟子であったが、妊娠していた。ホーフデーメルは妻とモーツァルトとの仲を疑い、その恨みで彼を毒殺したとする。宮廷官吏が宮廷作曲家を毒殺するなどは宮廷の不名誉であり、真相を知ったヴァン・スヴィーテンは、醜聞の拡散を防ぐべくホーフデーメルに自殺を迫り、逆上した彼は妻を傷つけ自殺する。1983年、英国ブライトンで開催された模擬裁判「誰がモーツァルトを殺したか」で最有力とされたのが本説であった。

 

毒殺容疑者は以上の他、ボーマルシェ、コロレド大司教、ダ・ポンテ、ランゲ夫妻、コンスタンツェ、プフベルク、 シカネーダー、ウェーバー夫人など多数に上る。モーツァルトの近辺にいた人は皆、容疑者とされるが根拠は薄い。

 

 【撲殺説】

上記ホーフデーメルによる毒殺説と基本構図は同じであるが、毒殺ではなく「撲殺」したとする。ホーフデーメルは、125日の数日前、懲らしめのためモーツァルトを叩き、逃げ帰ったモーツァルトは打撲による脳出血で死亡してしまう。ヴァン・スヴィーテンが活躍し、迅速な隠ぺい処置が取られた事は毒殺説と同様である。本説では、モーツァルトは死の数日前までは健康であって、病気だったというのはでっち上げの証言に基づくものと考える。

 

以上、現時点ではすべて仮説である。考えの分かれ目は、1つは当時の関係者の証言を信じるか、証言に偽りや錯誤があると考えるかであり、もう1つはホーフデーメル事件をどう捉えるかである。それによって結論は大きく変わる。更に、埋葬場所不明の事実を、隠したい理由があったと見るか、単なる怠慢と見るか。コンスタンツェが後年、他人に促されて初めて墓地を訪れたのは夫の死後17年目であった。その時、埋葬場所は既に分からなくなっていた。その怠慢を責めるべきか、或いは、彼女には何か隠したい理由があったのであろうか。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

201912月会報に掲載)