西洋音楽はグレゴリオ聖歌に始まると言われる。グレゴリオ聖歌とは、ユダヤ教典礼とギリシャ・ローマの音楽理論を受け継ぐ形で成立した初期キリスト教聖歌集が、各地の土着音楽と結びついて多様化したのを、ローマ式典礼に基づいて集大成したものである。紀元600年頃のことで、ローマ法王グレゴリウス1世の時代である。これは拍子のない朗誦形式の男声による単旋律の歌唱で、楽譜はなく口頭伝承されたが、やがて、言葉のアクセントに基づく簡単な音の上行/下行を示す「ネウマ譜」と呼ばれる素朴な記譜が作成され始める。そして、800年、カール大帝のフランク王国が成立、ローマ・カトリック教会と結ぶ形で国の統一を企画し、歌唱法の統一を図ったことが、このネウマ譜の普及と発展を促進した。その後、ロマネスク時代に、各人の声の高さの違いに起因すると思われるが、単旋律の、最初は下、後には上に、もう一つの旋律が4度乃至5度の間隔で加わるようになる。この有機的関係、即ちオルガヌムと呼ばれる多声化とそれと一体をなす和声の概念こそ、世界に類例のない西洋音楽の特徴となり、その後の複雑・高度な対位法や和声組織を構築して行く第一歩となった。そして、その構築を可能にし、西洋音楽が世界に普及していく原動力となったのが楽譜の発明である。即ち、10世紀末に、基準音程の位置を示す水平の赤い線が1本引かれるようになり、これがヘ音と表記された。次に、ハ音を表す第2の黄色い線が加わる。そして次第に本数を増し、1000年頃、4本線に四角い音符を書く、現在の記譜法の原型が考案され、やがて拍子と音価とを備えた5本線となって、1600年頃、現代譜に近いものが完成する。その意味で最初に引かれた1本の赤い線の重みは大きい。
ゴシック時代になるとそれまでの朗誦形式から、グレゴリオ聖歌を定旋律にその上部に自由な旋律を置く、より自由で拍子とリズム感のある音楽となるが、この頃が中世オルガヌム芸術の頂点となる。その後、上声部に世俗旋律を使用するようになり、音楽も複雑・華麗なものになっていく。従来の3拍子に加え2拍子も使用される。次のルネサンス時代は多声教会音楽の全盛時代であり、対位法が高度に発達し、和声意識の高まりと共に声のハーモニーが重視される。音楽の中心地は中世以来一貫してフランス及びフランドル地方であったが、16世紀の後期ルネサンス以降イタリアへ移る。英国から3度の和音が伝えられ、従来の5度と合わせた三和音が響く美しい音楽が作られるようになる。続くバロック時代はオペラが登場する時代で、人間感情―ロマン主義的な個人感情ではなく、「喜び」とか「怒り」とかの普遍的感情―を表現する音楽が作られる。劇的感情を表現するため、強と弱、大と小、旋律と通奏低音など2極対比がこの時代の中心概念となり、不協和音の使用も顕著になる。旋律は通奏低音の上に乗り、両者の和声的な縦の関係が重視され、対位法にも和声的な処理が求められるようになる。この時代は、オペラや協奏曲の誕生、器楽の独立、教会旋法から長・短音階への移行など、現代の我々に親しい諸要素を音楽が備えるようになった時代でもある。
続く古典派時代は、通奏低音と旋律の力関係が逆転した時代であり、旋律が主体となって、通奏低音は旋律を和声的に支える補佐役となり、やがて消えて行く。この旋律と和声が次第に複雑化していくのがロマン派の時代で、音楽も巨大化していき、不協和音が乱用される。そして19世紀末に至り、その複雑性と重量化・巨大化に耐え切れず、音楽は瓦解する。20世紀に入ると、クラシック音楽は、無調化と12音技法による現代音楽、ジャズ・ポピュラー音楽、オペラのハリウッド映画化などに分岐する。現代音楽は一般化せず、現在隆盛を誇っているのはポピュラー音楽で、その主な担い手は英米である。毎年大量の新作が市場に供給されるポピュラー音楽に比べ、クラシック音楽は過去の作品の演奏が中心となる。永くクラシック音楽の発展を担ってきた仏伊独に代わり、英米が主導権を握る時代となった。また、バロック時代の通奏低音がジャズ・ポピュラー音楽にコードという形で再登場する。
以上を要約すると、中世音楽が現世の苦しさを伝える、どこかギクシャクしたもの(空虚5度を使用)であるのに対し、ルネサンス時代に音楽は「美」となり、滑らかで美しいもの(3度和音の導入)となる。更にバロック時代以降、音楽は「表現」となり(不協和音の使用)、人間の感情を表現するようになる。要するに西洋音楽の歴史とは、中世・ルネサンスの「神の声」を聴く音楽から、バロック以降の「人間の声」を聴く音楽への変遷、バロックの神話的・寓話的人間像から、古典派の普遍的人間像、ロマン派の個別・私小説的人間像への変遷であり、神から人間、客観から主観、普遍から個別へという一貫した流れと見る事が出来る。この流れの中でどこに頂点を置くかは各人の自由である。勿論、後代の音樂の方が我々に親近性が強く理解し易いのは事実であるが、これは芸術的価値を示すものではないであろう。様式の変遷は変遷であって進歩ではない。夫々の様式には夫々の時代背景と必然性がある。その中で古典派の時代は、神の声から人間の声、客観から主観、普遍的人間像から個別人間像への歴史的変換の中点に当たり、諸要素が程よくバランスした時代であった。この時代の音楽が、普遍と個別の両方の響きを有するのはそのためである。
ではその流れの中でモーツァルトはどう位置付けられるか。彼の音楽は18世紀後半の古典派の時代にあって、後期バロックから初期ロマン派まで幅広い様式をカバーしている。その中には、セリア、ブッファ、歌芝居、リート、各種器楽様式、北と南の対位法、オラトリオ、コラール、民謡など、18世紀後半の殆ど全ての音楽ジャンルと技法がある。その意味で、モーツァルトは、バッハがバロックまでの西洋音楽の総合を行ったように、バッハ以降の18世紀音楽の総合を行った。他方、その音楽はベートーヴェン以降のロマン派に引き継がれたと言われるが、本当にそうであろうか。古典派からロマン派への流れは、主としてハイドンからベートーヴェンへと受け継がれたと思われる。ハイドンとベートーヴェンの音楽はオーケストラの音質、主題労作の技法、ディナーミクの置き方、曲全体の構成法など強い親近性がある。古典派形式の完成に力を注いだのはハイドンであり、音楽の立体的な構築性という点でベートーヴェンはハイドンを受け継いでいる。
ではモーツァルトは? モーツァルトも古典派の音楽を完成に導き、1788年夏の三大交響曲に於いて絶対音楽の頂点を築いた。だが、彼の作曲法には他人に引継がれ難い何かがある。ハイドンとベートーヴェンに共通する人工的な構築性とは何か違うものがある。彼の音楽の核心は「自然・自由」であり、人工的構築性とは別物である。人工的なものは他人に引継げるが、自然なもの、自由なものは引継ぎ難い。その意味で、彼はユニークであり、唯一の存在である。ベートーヴェンの、殊に中期の作品は、極めて巧妙に人間心理を織込んだ人工的構築物であり、聴衆を1つにまとめ、熱狂させる力を持っている。扇動する力があると言ってもよい。熱狂した聴衆によるスタンディング・オベーションも起きる。モーツァルトの音楽にはそうしたものはない。彼は聴衆に自由を与える。人生に内在する自然な悲しみを感じさせる。そのような音楽は聴衆を、国民を、扇動しない。幸せなことではないか、このような音楽が好まれる時代は。ベートーヴェンやワーグナーを担いで、いつか来た道には戻りたくないものである。
日本モーツァルト協会会員
K465 小澤純一
(2017年6月会報に掲載)