1783年1月4日、モーツァルトは父レオポルトに手紙を書く。「コンスタンツェと結婚する前、もし結婚出来たら感謝の意を込めてミサ曲を作曲し、それをザルツブルクの聖堂に奉納する決意でした。それは今も変わらないし、その証拠にミサ曲は既に半分出来上がっています」と。これは、結婚後、ザルツブルクへの里帰りを督促する父親に対する返事で、ここで言及されている曲が「ミサ曲ハ短調」K427である。彼は前年8月、大変な騒動の末、ウェーバー家の3女コンスタンツェと結婚した。父は強硬に反対したが彼は譲らなかった。父親としては、裕福な家庭の娘と結婚して自分の老後を見て欲しかったが、それが貧乏人の娘とは何事だ、というわけである。姉のナンネルも弟を奪った形の義妹に冷たかった。自分が父親の面倒を見ねばならず婚期も遅れた。2人とも自分達から幸せを奪ったコンスタンツェを嫌ったのである。その為、里帰りの目的は、ミサ曲の聖堂への奉納と併せて、ギクシャクした父/姉との関係を取り戻すこと、及び新妻を受け入れてもらうことであった。里帰りは7月末に実現するが、結婚後1年を要したのは、ウィーンで花形音楽家として活躍中の彼が演奏活動などで多忙だった事と、帰郷した場合、コロレド大司教に逮捕されることを恐れていたからである。彼は前々年に大司教と決裂しウィーンに移住したが、実は彼の辞職願は正式には受理されていなかった。形式上は依然として大司教の配下で、無断で任地を離れている身だったのである。だが、不安は杞憂に終わった。大司教は流石に大人であって、そのような事の無益を理解していた。彼は同年10月27日までの約3ヶ月間、新妻と共に故郷で過ごす。
曲は、バッハ「ミサ曲ロ短調」(主調はニ長調)とベートーヴェン「ミサ曲ニ長調(ミサ・ソレムニス)」の両高峰の間に横たわる100年の平地の中央に屹立する未完の傑作である。「クレド」の後半部と「アニュス・デイ」が欠けているが、それでも1時間弱の演奏時間を要する巨大なトルソで、冒頭の「キリエ」の特異な旋律には異様な迫力がある。彼のザルツブルク時代の教会音楽が古典的であるの対して、本曲は遥かにバロック的で、ここには前年に出会ったバッハ/ヘンデルの音楽に対峙するモーツァルトがある。勿論、出会いは始まったばかりで、その対位法の処理にはまだ充分こなれていない部分もある。だが、このことが逆に、後の「レクイエム」にはないアルカイックな力強さと迫力をこの曲に与えた。「キリエ」では両端の“キリエ”の厳しさと対照して、中間部の“クリステ”の何と美しいことか。その真ん中でソプラノが低音から13度の跳躍をするが、ここを中点に「キリエ」全体は左右対称の美しいシンメトリーを描く。続く「グローリア」では合唱、重唱、独唱など多彩な内容を全体として見事に統一している。冒頭の“グローリア”の大合唱に続く、“ラウダームス・テ”の華麗なコロラテューラ。次の“グラティアス”は謎である。主の栄光を称える章句に対して何で不協和音の連続か。そして“ドミネ”のソプラノ2重唱を経て、本章の頂点を構成する“クイ・トリス”に至る。ここで彼は、付点休止のリズムと大胆な不協和音によって、十字架を背負ってゴルゴダの丘を登るキリストの苦難を描く。何と言う厳しい表現であるか。だが、後半の“ミゼレーレ”に至り一転してピアニッシモとなり、下降音型で声を潜めて「我らを赦したまえ」と憐みを乞う。本章の白眉である。そして、「クム・サンクト・スピリト」の大2重フーガの合唱を以てこの偉大な楽章を締めくくる。
次いで、「クレド」に入る。ここはミサ典礼の核心で、神・キリスト・精霊の三位一体、及び教会と死者の蘇りへの信仰を告白する部分である。文字数的に最も分量が多く、重要語句以外は繰り返しをしないのが一般的で、モーツァルトも一気に進める。だが、“エト・インカルナートゥス・エスト(処女マリアは精霊により受胎し)”に至り、彼の筆は美しいソプラノの旋律を奏で始める。キリストが処女マリアの中で受肉する奇跡を、彼は美しいソプラノ・アリアで表現したのである。これに対して古来非難が集中した。教会音楽でオペラのアリア、しかもカデンツァ付きとは何事だ、というわけである。だが、彼にとって聖俗の別はなかった。無垢で純潔な聖母には、無垢で純潔な歌が最も相応しいと考えただけだ。それの何が悪い。続く“主は十字架をつけられ”以下は、一部スケッチはあるものの、結局、作曲されなかった。「磔刑」、「復活」、「最後の審判」は信仰の核心中の核心であり、そこを作曲しないとは。思うに、彼は本曲で“インカルナートゥス”を作曲したかったのだ。これは聖母マリアと同時に、新妻への賛歌でもあるのだ。それを書き上げてしまった以上、何で後を続ける必要があろう。ところで、この曲の奉納演奏は故郷での新妻のお披露目が目的でもあった。姉の日記にも「義妹がソロを歌う」とある。ソプラノ独唱は2曲(“クリステ”と“インカルナートゥス”)。姉2人が歌手であった彼女には歌う能力があった。彼は新妻の歌の練習帳(K393)の2曲目にこの“クリステ”を入れて練習させた。これがアロイジアだったら!そう彼は嘆息したであろうか。彼女なら、そう、もっと見事に歌ったであろう。だがこの2曲は新妻コンスタンツェだけのものだ。続く「サンクトゥス」の後、終章の「アニュス・デイ」は作曲せず、曲は未完に終わった。何故か?完成しても大規模になり過ぎて演奏の見込みがなかった事、彼自身も未だバッハ対位法の研究途上にあった事、などが理由であろう。
ここで、三大ミサ曲の寸評を。「ミサ曲ロ短調」は実に重厚で流石にバッハである。その合唱部分は正に陸軍一個師団が威風堂々、或いは信者の大群衆が整斉と、正面から迫ってくる感じで、その迫力というか圧力、怒涛の寄り身には、神も祈願を聞き届けざるを得ないであろう。曲冒頭の、低音部の漸次上昇と上声部の減七の和音の組合せは極めて効果的で、バッハの天才を証する。“インカルナートゥス”の短調による神秘的な表現も感動的だ。ただ、演奏に2時間というのはどうであろう、神様もお忙しいのだ。一方、ベートーヴェンの曲は声楽を伴った一大交響曲である。彼は言葉の真の意味を音で捉えるべく、考え、考え、作曲した。その真摯さと労苦に対して、これも祈願の受理は確実だ。“インカルナートゥス”では、前半の「精霊が処女に宿る」と、後半の「人になりたまい」を分けて解釈し、前半部では神秘に打たれてじっと考え込み、後半部は高らかに歌い上げる。ここと、これに続く“十字架~葬むられ”の辺りが本曲の白眉だ。では、モーツァルトの曲は?きっと、にっこり笑って「よし、OK」の一言であろう。神様は美しいソプラノの声をお望みだ。それに彼の最大の美徳である簡潔・直截さ。美と簡潔・直截、これには神様も満足なされるはずだ。ところで最後に一言。バッハの曲はオルガンが良く似合う。他の2曲はピアノ音楽の近代性を感じさせる。夫々の時代精神か。
さて、本曲は結婚の請願という動機にも拘らず何故短調(全曲の半分が短調)なのであろうか。彼の短調には強いパトスがあり、結婚への強い感情を短調に込めたのかも知れない。それに彼は元来「崇高悲壮様式」の教会音楽を目指していた。彼はこの曲を、ザルツブルクを離れる前日の10月26日、聖ペテロ修道院付属教会で演奏した。演奏は教会の聖歌隊に加え宮廷楽団員も参加した。だが、折角の演奏も、3ヶ月に亘る滞在も、新妻に対する父と姉の不信は解けなかった。心を込めて作曲したモーツァルトとそれを一生懸命歌った新妻の心は彼らには届かなかった。届かなかった彼らの心は何処に行ったか?そのまま聖堂を越えてザルツブルクの紺碧の空に高く舞い上がり、鳥にでもなるより仕方がなかったのかも知れない。だが、鳥になった彼らの心は、愛は、200数十年の時を超え、今なお我々の心を強く打つ、あの“エト・インカルナートゥス・エスト”の美しいソプラノの旋律がホールを満たす度に。
日本モーツァルト協会会員
K465 小澤純一
(2018年5月会報に掲載)