37.何故、美しいものは悲しいのか(2)

 

 前回、我々の持つ美意識の根源に関して、人間は原初の時代以来、生命力と生殖力を体現する「健康」な体を「美しい」と感じる、そういう美意識を発展させて来た事を述べた。以下、顔の美について少し付け加え、本稿の結論に移る。

人は美人を好む。美人を見ると明らかに態度が変わり、ソワソワし出す。そして、誰でも瞬時に美人を見分け、人による判断差は殆どない。赤ん坊でも美人を見分けるという。この様に、人は容易に美人を見分けるが、美人の定義は難しい。左右均衡で整った顔を言うのであろうが、具体的に説明するのは難しい。だが、実際に美人顔を造るのは割に容易だそうである。一定数の顔を集め、目とか口とかの部位別に、それらの位置関係も含めて平均化すると、整った顔、即ち美人が出来上がる。10人の顔を平均すれば10人に1人の美人が出来、20人を平均すれば20人に1人の美人が出来上がる。母数が多いほど美人度が上がる。即ち、美人とは集団の平均値なのであり、人間には平均値を好む傾向がある。これが種の安定性を担保するわけで、美人が好まれる所以である。一方、個々の顔は平均から逸脱する。これは「バラつき」の問題で、種の変革・進化に寄与する。この、平均値志向による種の「安定性/求心性」と、バラつきによる「変革性/遠心性」の絶妙なバランスの中に、創世に於ける神の設計の巧妙さがある。

ところで、上記の合成美人はあくまでも平均美人で、実は、これだけでは、息をのむような最高の美人、部屋に入って来れば誰もが瞬時に気付くような超美人にはならない。超美人には、正しい方向での、平均からの若干の「逸脱」/「誇張・デフォルメ」、要するに、平均美人とは異なる、ある顕著な魅力的特徴が必要なのである。平均よりも大きめの丸い目と小さめの鼻、高めの頬骨と細めの顎、豊かな唇、唇と顎の近接、目と眉との一定の距離感などである。富士山の美も、その左右均等な形に加え、中腹の宝永山による一種のデフォルメが付加されて始めて完成する。平均美に対して、特徴的で誇張した部分を如何に付与するか、単純な左右均等を如何に崩すか、その崩し具合こそが「平均美」と「超美」を分かつ分水嶺であり、この原則は芸術でも同様である。この超美人が出現する確率は非常に低く、それが超美の体形と結びつく確率は、更に低い。

一方、美意識の発展には文化の問題が絡む。現生人類は十数万年前に出現して以来、文化を、そして文化的な美意識を発展させて来た。それは人間の肉体という枠を外れて、自然や人間の精神に美を見る目であり、何気ないものにも美を見る目であり、抽象美であり、それらに基づく倫理観であり、要するに美の範囲を拡大して来たのである。これこそ人間の偉大なる特質と言わねばならない。また、個人主義の浸透により、美意識にも大きな個人差が生じている。或いは、地域や人種による美意識の違いもあるかも知れない。だが、実は、地域・人種・文化に係らず、美を判断する目に大きな違いはないとも言える。世界のどの地域でも、美人は、やはり、左右均等で整った顔立ちをしており、誰が見ても美人である。「国際美人コンテスト」が成立する所以である。「醜に美を見る」とか「不協和音に美を聴く」などは、後年になって開拓された文化的な美意識であって、その根底には、やはり太古以来の正統の美意識があると言わざるを得ない。「テーゼ(正)」あっての「アンチテーゼ(反)」なのである。

さて、本題の「何故、美しいものは悲しいのか」について考える時が来た。美しいものに触れて悲しいと感ずるとはどういう事なのか。その答えは、おそらく、我々の存在自体にある。プラトンの美のイデアは永久不滅と定義されるが、全ての有体物は有限であり、何れ滅びる。この世に不滅なものはなく、巨人軍も不滅ではない。ヘラクレイトスではないが「万物は流転する」のである。上述のとおり、美とは、その深層に於いて、我々自身の肉体と深く結び付いて認識されるものである。他人事ではないのだ。若さも束の間で、美しい肢体もやがてその美を失い、美人にも、超美人にも、遠からず経年劣化の時が訪れる。若さ、健康、張りのある整った姿形など、美しいものほど壊れ易い。芸術とは、その失われ行く美の一瞬の輝きを捉えたものだ。其処には必然的に、その物への哀惜の念が表現される。富士山もいずれ崩壊し、大宇宙でさえやがて終焉の時を迎える。だから、どれも、今、輝いているのだ。これは美しくも悲しいことではあるまいか。全ての存在は本質的に悲しいのである。それが美しいものであれば尚更だ。では、そのような美の本質を直観する者が、天才作曲家で、1つの文化が終焉を迎えつつある時代に生を受けたとしたら、どうなるであろうか。

モーツァルトは人一倍人生を楽しんだ人だ。冗談が好きで美食と美女を愛した。だが一方、常に死と向かい合い、毎夜床に就く度に「明日は目が覚めないかも知れない」と考えていた人でもある。誰よりもこの世の「はかなさ」を感じていた。この心の底の無常観は日本人の心情に近く、彼は西洋人としては異例なほどこの心情を強く持っていた。彼の生きた18世紀後半は絶対王政が瓦解を始めた時代、1つの文化が終焉を迎えていた時代であり、彼はその事を誰よりも鋭敏に感じていた。彼の音楽は18世紀後半という時代の理想を実現し、更に新しい時代を切り開くものであったが、同時に、この去りゆく時代への挽歌でもあった。その美しい旋律は絶妙のプロポーションを、艶やかな音色はキメ細かな肌を、正確なリズムは端正な顔立ちを連想させる。この均整の取れた超美人は、絶対王政とそれが育んだ華麗かつ理知的なバロック・ロココ芸術の総決算である。彼は滅びゆくその美の一瞬を音楽に焼き付けたのだ。そうとすれば、その美しさが、何にも増して、失われ行くもの、滅び行くものの哀感を体現することに何の不思議があろう。彼の音楽が、美の持つ本質的な悲しさを、他のどの音楽にも増して感じさせるのはそのためである。そこで流される涙は誰彼のためのものではない。滅びゆく全ての美しいものへの涙だ。だが、誤解してはならない。だから悲しいのではない。だから美しいのだ。終わりがあるからこそ美しいのだ。人生も同じである。終わりがあるからこそ美しいのだ。生きる価値があるのだ。今、輝いているのだ。彼はそのことを良く知っていた。だからこそ、生き生きと、今を、生きたのだ。

時代というものは、どの時代も、その時代精神を顕現させる表現者を要請する。時代がモーツァルトを選んだのか、モーツァルトが時代を選んだのか。何れにしろ、バロック・ロココの時代精神と、モーツァルトという稀有な個性との絶妙の組合せの中で、事は成就し、18世紀後半という時代の要請は満たされたのである。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

201810月会報に掲載)