今回も言葉を3つ取り上げた。最初の2つはマンハイム・パリ旅行中の若い時のもの、3番目は円熟期のものである。
1.「僕は、詩を書くことは出来ません、詩人ではないから。巧みに描き分けて陰や光を表現することも出来ません、画家ではないから。ほのめかしや身振り手真似で感情や考えを表現することも出来ません、踊り手ではないから。でも音でならそれが出来ます、僕は音楽家ですから」(1777年11月8日、マンハイムから父宛書簡)
音楽家としての自信を表明したこの有名な言葉は、マンハイム・パリ旅行中、父レオポルトの霊名の祝日を、⺟親が「ワインでお祝いする」と述べたのに対して、自分は(音楽家だから)「クラヴィーアを弾いてお祝いしましょう」と述べるための前文として書かれた。だが、それにしては少々唐突で大げさな前文である。余程、気分が高揚していたのか、 何か改めて音楽家としての資質を自覚する事でもあったのか。或いは、祝言全体を大きく見せ、彼が旅行直前に引き起こした、宮廷パン屋の娘との恋愛事件の後始末を押し付けられ、機嫌を損ねていた父親の気持ちを解きほぐそうとしたのか。その真意は兎も角、これはまた何とさわやかな宣言であろう。⻘年期特有の自信にあふれ、何のてらいも、留保もなく、自分は音楽家だから、どんな事でも音でなら表現出来ると言い切っている。一種の潔さと言ったものまで感じ取れないだろうか。ところで、音楽とは、言葉や想念や感情を音で表現し(作曲)、再現し(演奏)、聴く(聴取)という一連の行為であるが、そのどの段階に於いても、最も大切なものは想像力(イマジネーション)、それも真正な想像力である。子供が棒切れでチャンバラ遊びをする時、彼にとってそれは単なる棒切れではなく、正真正銘の刀である。彼の生き生きとした想像力がその対象に真実性(リアリティ)を与えるからである。音楽に真実性を与えるものも正にこの想像力であって、その点、モーツァルトの能力は折り紙つきであった。言葉を与えられれば直ちに想像力が働き、即興演奏に没入したそうである。あらゆる芸術は想像力の所産であるが、無形の芸術たる音楽ではその役割は特に大きい。楽譜から作曲家のイマジネーションを読み取り、これを自らのイマジネーションを加えて再現するのが演奏家の役割だが、それが聴衆のイマジネーションと同調し、この3つのイマジネーションが美しく共鳴する時、名演が生まれる。
2.「選帝侯は、僕にどんな事が出来るかご存じないのです。・・・僕は試験をしてみて頂きたいと思います。・・・作曲にかけては、僕は誰にも負けない自信があります」(1777年 10月 2日、ミュンヘンから父宛書簡)
「・・・僕は作曲家で、楽⻑となるように生まれついています。神様がこんなにも豊かに与えて下さった作曲の才能を埋もらせてはいけませんし、埋もらせることは出来ません」(1778年2月7日、マンハイムから父宛書簡)
大した自信だ、モーツァルト君。結構だ。だが、その割に就職活動はうまく行かず憤慨しているね・・・。分からないのかなあ、就職は能力の問題だけではないのだよ。試験をするまでもなく、ミュンヘンの選帝侯も、マンハイムの選帝侯も、君の能力は良くご存じなのだ。でも、君はザルツブルクで大司教を怒らせて飛び出して来たよね。ミュンヘンはザルツブルクの隣地だ。誰だって、隣地でトラブルを起こした人間を雇って、余計な摩擦を起こしたくはないのだ。ザルツブルクはウィーンと深い繋がりを持っている。増して今の大司教はウィーンの意向で推挙された人だ。マンハイムだって事情は同じだ。要は、政治的な問題なのだ。或る意味では、能力があるほど扱いにくいのだ。ザルツブルク大司教も、君の身分を弁えない要求に対して、君を解雇して示しを付けたものの、能力は買っているのだ。それで今では、しまったと思っている。両選帝侯もそれを知っていて、君を雇えるわけがないだろう。オペラ1曲ぐらい作曲委嘱するのは構わない。だが、雇うとなると、話は別だ。君がイタリアで就職できなかった理由は知っているでしょう。あれは、マリア・テレジア⼥帝の意向だよ。君も、人を良く観察しているようだし、オペラを書かせれば人物の描写は見事じゃないか。それがどうして自分の事となると見えなくなるのかな。父君は良く分かっていると思うのだが・・・。彼も、身内となると甘くなるのか。君も、音楽の能力は半分削っても良いから、世間のことを少し学ぶことだね。この調子ではパリでも失敗するよ。それでも、君には悪いが、僕たちにとってはそれでよかった。この失敗旅行のお陰で君は成⻑するよね、音楽にも陰影が出て来る。それで、僕らは、一段と成熟した君の音楽を聴くことが出来ると言うわけだ。
3.「旋律は音楽の神髄だ。たとえて言えば、旋律の美しい作曲家は優秀な競走馬で、対位法の作曲家は老いぼれの駅馬⾞の馬のようなものだ。だから忠告するが、余計なことはしない方が良い」(マイケル・ケリーの回想、1826年)
これは、言葉というものは、相手と状況を考えて発せられるものだという1つの例である。相手のマイケル・ケリーは「フィガロの結婚」で、ドン・バジーリオとドン・クルツィオを歌った歌手である。彼は、愛好家として作曲にも手を出し、モーツァルトに助言を乞うた。上記は、それに対する回答である。注意すべきは、モーツァルトが実際にそのように考えていた訳ではないという事である。「フィガロ」の1786年と言えば、彼がバッハの対位法に真剣に取り組んでいた時期で、対位法(と和声の融合)は彼の当時の最重要の研究課題であった。彼が言いたかったのは「アマチュアは対位法などと言う難しいものに手を出さない方が良い。例えそれが真摯な気持ちだとしても、余りに難しい事に手を出すと何もかも分からなくなり、全部が滅茶苦茶になる。今は旋律と和声に集中しなさい」ということで、ケリーの実力を考慮に入れた発言なのである。相手が、状況が違えば、違った物言いをしたであろう。学校の先生などには良く分かる言葉である。ヴェルディは嘗て「私の楽譜はその通りに演奏して欲しい。余計な事はして欲しくない。作曲者が思いもかけなかった効果などと言うものは認めない」という趣旨の発言をした。現在であれば、何を今更!と言う感じだが、当時のイタリアでは、歌手は勝手に歌い、オーケストラは譜面通りに演奏できないか、楽譜を無視して演奏するという有様で、この言葉はそういう状況を背景に述べられたものである。彼のオペラのオーケストラ伴奏が単純と言われるが、それは彼らが間違いなく弾ける様にその様に単純に書いたのだ、という説さえある。他人の言葉や楽譜(記譜法にも時代慣習がある)を読むという事は、それらが発言されたり、書かれた時の状況や時代背景を考える事でもある。
日本モーツァルト協会会員
K465 小澤純一
(2019年1月会報に掲載)