43.モーツァルトオペラに於ける「ソナタ形式的」思考(1)

 

 「ソナタ」とは元来、イタリア語のソナーレ(SONARE:鳴り響く/演奏する)に由来する言葉で、声楽を意味するカンタータ(KANTARE:歌う、に由来)と対比して、音、即ち器楽を意味する。音響メーカーの「ソニー」も「音」の意である。西洋音楽は中世・ルネサンス時代のア・カペラ様式による声楽中心から、17世紀のバロック時代には世俗音楽と共に器楽が興隆し、18世紀の後期バロック・古典派の時代になると、量的、質的に、声楽に拮抗するまでになる。そして遂に、19世紀ロマン派の時代に、器楽の覇権が確立すると言われる。だがこれは、歌ではイタリアに勝てない音楽後進国ドイツが仕組んだ、器楽優位のプロパガンダの一面もあり、一概には言えない。現在、世界の音楽の主流であるジャズやロック、ポップス、歌謡曲などは、依然としてヴォーカル=声楽中心である。「声」は人間の始原の音だからである。以上、少々脱線したが、要は、「ソナタ=器楽」と言う事である。

ところで、古典派の時代、及びそれ以降、「ソナタ」の主要な楽曲形式となったのが「ソナタ形式」である。交響曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ・ソナタなどの第1楽章は殆どこの形式で作曲されている。その典型的な構成を模式的に示せば、「提示部 + 展開部 + 再現部 + (結尾部)」から構成される三部形式である。具体的には:

提示部:「第1主題(男性的)、調性は主調」 + 「第2主題(女性的)、属調」  展開部:「主題の動機分析と転調」

再現部:「第1主題の再現、主調」 + 「第2主題の再現、主調」  (結尾部)、となる。(調性は長調の曲の場合)

初めに、調性的にも、旋律的にも、対照的な複数の主題を提示し(提示部)、それを展開し(展開部)、最後に調性を合わせて平和的に解決する(再現部)。物語で言えば、最初に話の発端があり(提示部)、それが紛糾し(展開部)、最後に解決する(再現部)という筋書きである。「展開」とは、事件の発生・紛糾、事態の緊迫化であり、これらを主題の動機分析や転調を重ねることで表現する。「再現」とは、和解・解決であり、事件前への回帰である。但し、単なる回帰ではない。展開部を経過する過程で、「雨降って地固まる」とか「喧嘩によって友愛が深まる」など、状況の深化が行われる。この形式の基本には2つの枠組があり、1つは「主調(T)   属調(D)   更なる転調(下属調:S 属調:D) 主調(T)への回帰」という機能和声的枠組で、もう1つは「主題の設定 主題の動機分析 主題の再現」という主題/動機的枠組である。要するにソナタ形式とは、「主音(T)  属音(D) 主音(T)」という機能和声の終止形を基に、Dの後に更なる転調部(展開部)を加え、1つの楽章に膨らませたものなのである。

以上のとおり、「ソナタ形式」とは極めて劇的且つ動的、深く物語性(ドラマ性)を秘めた表現形式なのであるが、この「劇的」或いは「ドラマ」と言う概念はバロック時代に始めて登場する。ルネサンスによる人間復活の結果、17世紀に至り、音楽も、神への奉仕から、人間の感情表出の手段となる。そこで問題になったのが、抽象的な音の連なりである器楽に於いて、如何に劇的なものを表現するか、音による劇を演出するかであった。そのためのバロックの形式が、合奏協奏曲などに典型的にみられる、速度、強弱、音量、音色などの「対照・対比形式」であり、対照の中で劇的なものを表現した。これに対する古典派の形式が「ソナタ形式」である。バロック形式では「同一楽章中では同一の感情が保持される」のに対し、ソナタ形式では「同一楽章中でも感情はどんどん変化して行く」。バロックのダ・カーポ形式(ABA)では、(B)の中間部では(A)とは異なる感情を表出するが、最後は元の感情(A)に戻る。絶対王政下に於いては、事態は変化してはならず、全ては元通りに戻る必要があった。これに対し、民衆の力が増大しつつあった18世紀後半の古典派時代には、感情表出も動的なものにならざるを得なかった。同じ三部形式でも、真ん中は(B)ではなく、(A)の展開、即ち(A)なのである。絵の一枚一枚は動かないが、何枚も並べて順に見ていくと、そこに動き・物語が見えるバロック音楽に対し、古典派音楽では一枚の絵自体が動画のように動く。

以上から、器楽形式としてのソナタ形式が、何故オペラと結びつくのか、お分かりであろう。「提示部(事件前)+展開部(事件の発生・紛糾)+再現部(解決)」という物語的流れは、本来オペラの世界のものなのである。この流れはオペラ全体だけでなく、個々の場面、個々のアリアの中にも存在する。モーツァルトは、オペラを作曲する場合、状況に応じて、極めて自然に「ソナタ形式的思考」に沿って作曲した。「フィガロの結婚」第3幕の6重唱はその一例である。

この6重唱が歌われるのは、女中頭のマルチェリーナがフィガロとの結婚を策し、裁判に勝つが、実は、彼女は彼の母親で、バルトロが父親だという事が判明する場面である。先ず、喜ぶフィガロと新たに判明した父母との抱擁で音楽が始まる(第1主題:ヘ長調)。その場にスザンナが入って来るが、彼女の登場と共に音楽が変わり、調性も属調に転調する(第2主題:ハ長調)。ここまでが提示部である。ここでスザンナは恋敵と抱擁しているフィガロに気が付き、怒る。事件の発生であり、音楽も緊張度を高め、調性もハ短調に転調する。やがて誤解も解けてハ長調に戻り、ヘ長調への回帰を用意する。以上が展開部である。そして最初の旋律(第1主題)が主調(ヘ長調)で回帰し、事件も解決する。再現部であるが、事件前への単なる回帰ではなく、スザンナの登場による紛糾を通じて、4人の団結は更に強固なものになる。

勿論、オペラに於けるソナタ形式は器楽に於けるほど厳密なものではない。物語や言葉に従う必要があるからである。上の例でも第2主題は再現されず、代わりに大規模な終結部が置かれている。更に言えば、彼は、器楽だろうと、声楽だろうと、劇的なものを表現する時、先ずは、物語の展開と和声機能との調和の中で楽想を発展させたのであって、何もソナタ形式と言う鋳型に当て嵌めて作曲したのではない。形式はむしろ結果に過ぎない。そもそも鋳型のように画一的なソナタ形式などと言うものはなく、それは要求される表現内容によって様々な形をとる。それが生きた思考であり、創意と言うものであろう。当て嵌めだけでは単なる形式美に止まり平均的美人にはなるが、極上の超美人にはならない。形式の何処に、どの様な破格を求めるか、力量が問われる所である。次回はそのような様々な具体例を見ていきたい。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

201510月会報に掲載)