47.楽譜の発達-その功罪

 

クラシック音楽には楽譜が欠かせない。今回はこの楽譜というものについて考えてみたい。言う迄もなく、五線譜という形での音楽の記録方式は、洋音楽の歴史の中でまれ発展して来た。現在、邦楽を始めとする各族の伝統音楽謡・俗謡などを除いた、クラシック・ジャズ・ロック・ポップス・歌謡曲など、世界の大部分の音楽はこの五線譜上に記録されている。正に、五線譜こそは洋音楽の最大の発明であり、洋音楽が世界に広く伝播する原動となった。それでは、五線譜は洋音楽の歴史の中でどのように形成されていったのであろうか。先ずそれを辿ってたい。

 

洋音楽はグレゴリオ聖歌に始まる。この聖歌は当初、各地で様々な形で歌われていたが、9世紀初めのカール大帝によるフランク王国の成立と共に統一化が始まる。当時は歌うといっても歌詞のニュアンスをかした、仏教の「お経」のようなもので、歌手の便宜のため、歌詞の上に声の抑揚を示すミミズの這ったようなアクセント符号を付けた。これが「ネウマ譜」と呼ばれる最初の楽譜である。但し、これでは音の高さが分からないため、10世紀のある時、横に1本の基準線が引かれ、符号の位置が線の上下いずれにあるかによって音の高さを示すようになった。やがて、音高をさらに詳細に示すため、線の数を2本、3本と増やし、13世紀初めには5本の線が引かれるようになる。最初の一本を引いた人の名前は分からないが、記念碑的な一本で、五線譜の歴史はここに始まるといっても良い。

 

このように音高は明確になったが、音のさ(音価)はまだ定まっていない。音価は、12世紀のノートルダム楽派の時代に開発された、リズムの形(モード)によって音価を決定するモーダス記譜法によって規定されるようになり、ここで始めて音高、音価の両要素が揃い、現代譜に翻訳可能な楽譜が出来上がった。その後、13世紀に、1個の大音符を3分割するフランコ式定量記譜法が開発される。これはキリスト教の三位一体の思想を体現したものであるが、次の14世紀になると「アルス・ノヴァ(新技法)」と呼ばれる新記譜法が発表され、2分割の法則が導入される。これはキリスト教の教義に反するとしてその是非が大論争になったが、人間の2拍子に対する嗜好は強く、妥協が成立し、ここに3拍子系と2拍子系の両輪が揃うことになる。同時に、拍子メンスーラ記号と呼ばれる拍子記号の原型も形成され、小節線も入ってリズムも明確になる。以上のように楽譜の原型は14世紀の中世末期までには形成されるが、続く1516世紀のルネサンス時代にこれの精密化が図られ、バロック時代以降はほぼ現在の楽譜と同様のものとなる。ここで注を入れるとすれば、中世人は横線一本(基準線)の発に数百年を要したわけではない。仏教のお坊さんの読経に五線譜が必要ないのと同様、初期の時代にはそのような物は必要なかった。夫々の時代の音楽は、その必要に応じて必要な機能を発明して来たのであって、楽譜機能の充実と音楽の充実は、車の両輪の如く、相互発展して来たと言える。 

 

以上の楽譜の形成過程を通じて感じることは、紙に書いて物事を出来るだけ正確に記録に残そうとする思想であり、 又、全ての音をデジタル的に測定出来る形で規格化(スタンダード化)しようとする態度である。何れも、ギリシャ文明以来の洋思考の伝統に根ざしたものと言える。尺の音など、曖昧な部分を残そうとする邦楽の伝統的思考方法との違いを感じるが、洋のこの思考方法が、近代科学と産業命を促し、規格化を基にした大量産方式をむ土台となった。明治の初めに五線譜を目にした日本人は、そこに洋文明の精髄をる思いがしたであろう。何れにしろ、これによって、作曲家は楽譜という形で作品を世に残すことが出来るようになり、誰でもそれをれば、何度でも同じ演奏を再現出来るようになった。もう1つ重要なことは、大で複雑な曲の創作が可能になった事である。如何に優れた作曲家でも、五線譜なしには高度な技法、例えば複雑な対位法や和声を持つ曲は作曲できない。クラシック音楽の、音の建築とも言える壮大な交響曲の創作は、楽譜発明の賜物である。この他、世界の各族音楽、謡や俗謡を洋楽譜に採取・記譜することで、これらの保存や利用も可能になった。

 

このように、五線譜と音符による洋楽譜は、世界の音楽の発展に偉大な功績を残して来たのであるが、それによる弊害がないわけではない。如何に偉大な発明であろうと、発展だろうと、この世に100%良いなどというものはない。薬と同じで、必ず、大なり小なり、副作用がある。洋楽譜の特徴は、音を半音単位で、全ての音高、音価、休符などを厳密に規格化したところにあるが、規格化したと言う事は反面、限定した事でもある。限定したとは、規格以外の音は認めないと言う事だ。例えば、各族音楽の持つ独特の音程、音価、間などの承による細かいニュアンスなどは、全て五線譜の規格に合わせて記録された。世界の音楽は洋の音律と規格に一元化され、この一元化は、更に、鍵盤楽器での12音平均律の採用によって増幅された。世界の音楽を記録として残すという大義の前ではやむを得ざる仕儀だとは思うが、この話は、旅人を自分の寝台の大きさに合わせて切ったり伸ばしたりしたと言う、ギリシャ神話の「プロクルステスの寝台」を、どこか、思い起こさせる。

 

もう1つ。上述のとおり、楽譜の発明は、作曲家に複雑な作曲とその作品を残す事を可能にし、この事が作曲家の地位を、音楽史を通じて一貫して、高めることに寄与して来た。そして、19世紀ロマン派に至って作曲は極度にち密なものとなり、従来個々の演奏家に任されていた自由な表現の余地は狭められ、多くが楽譜上で細かく規定されるに至った。演奏家は楽譜の忠実な再現者となったわけであるが、これが演奏家の自由な創意と即興演奏能の減退に繋がらなかったか。今日、クラシックコンサートで即興演奏は極めて少ない。作曲家は演奏せず、演奏家は即興演奏をしない。18世紀、まだ作曲と演奏が未分化の時代、演奏家でもあったモーツァルトは即興演奏の達人であった。今日、バロック音楽やその流れを汲むジャズ、或いはラグタイムでもよい、そういう音楽の即興的で自由な演奏を聴く時、逆に近代の楽 譜というものの持つ強い拘束を感じざるを得ない。勿論、楽譜の発明は偉大である。ただ、「良いものには副作用もある」と言う事を認識しておくこともまた、無駄ではないかと思う次第である。そうする事によって始めて、楽譜というものの持つ特質を最大限にかす事が出来ると同時に、その副作用を半減させる事もまた可能になるからである。

 

日本モーツァルト協会会員

K465 小澤純一

201910月会報に掲載)